7日ほど前、いとこの家に向かっていた時のことである。
トンネルを抜け急坂を下り交差点に差し掛かった時、前の車が信号で停車、私も減速し、ゆっくりと停車した。
ふと前方に目をやると横断歩道の左側に信号待ちをしていたかのような小さな生き物が目に入った。
しかし、すぐに前車に隠れて見えなくなってしまった。
「あれ?」と思い右に目をやると、アッ!いた。
小さな生き物は思っていた通りネコであった。
驚いたのは、そのネコの足が三本しか見えなかったことである(左側に見えた時少しよろついて見えていた)。
そして、車が停止したのを確かめながら、しっかりと、悠然と、歩いて渡った。
しかも、やはり後ろ足が一本無く、三本足で歩いていた。少しグラつきながらも、しっかりと歩いていた。
野良猫と思えたが、四本足でも生存が大変であろうと考えられる中、「よく生きているなぁ!」と、感心してしまった。
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ああ、助かったぁー
先日の大型台風で、緊急事態が起きました。一人住まいの私には大変なことです。
シーカヤック製作の作業小屋がばらばらになってしまったのです。製作中の船に大事は無かったのですが、作業を進められなくなりました。そこで、クラブの仲間たちに事態を報告したところ、数名がすぐに駆けつけてくれ、小屋の危険な個所を解体し、作業途中のカヤックをブルーシートで包み移動してくれたのです。私一人ではこんなに早く処理できませんので、とても助かりました。
その時、私の心に思い浮かんできたのは、「最近、こんなに大勢の人に手助けをしてもらったことはなかったなあ、仲間がいて良かったなあ、良い人たちと出会えたなあ!」ということでした。「遠い親戚より近くの他人」という言葉も浮かんできました。
温かで心安らぐ時間が過ぎていきました。私の喜ぶ顔を見て、クラブの仲間たちも喜んでいる様子です。「災い転じて福と為す」、私は、何か、大切なものを発見したようです。
爺と坊主たちの戦い
最近、躾という文字を見かけることが少なくなりましたが・・・
先日、こんなことがありました。客間に置いてある大型のラジコンヘリのアンテナの先端が折れているのを発見。我が家には、近所の子供たちがよく遊びに来ます。子供たちには、勝手に、部屋に入ったり、置いてあるものに触れないよう注意をしていたのですが、どうも約束を守ってもらえなかったようです。
現行犯であれば、注意の仕方も簡単ですが、この場合の叱り方には注意が必要です。某政治家、某官僚、某大学運動部監督のような答えが返ってくることも考えられます。
そこで、爺は色々考えてみました。
男の子であれば、めったに見ない大きなヘリに興味を持つのは当然、コントローラーにも触ってみたい。それを無防備に置いてしまった爺にも責任があるのかな、この子には前にも小さないたずらがあったのに?
持ち主である爺は、なぜ、いたずら対策をしなかったのか。
子供好きの爺ではあるが、これからは、子供が勝手に家に入れないようにすべきなのか。
家の中でしっかり防備すべきなのか。
それとも、問いただして、善悪について考えさせるべきなのか。
起きてしまったことの正直な報告をさせるべきなのか。
躾とは何だろうかと考えてしまいました。他人の子供も自分の子供も区別をせずに叱れるかな?
ネコの訴え(気持ち)
私がまだ十代の頃、我が家に後ろ足の悪い一匹の猫がいた。ある日の夕方、学校へ行くため急いでいた私の足元にニャンコが走り寄り、ズボンのすそを加え、しきりに何度も呼び戻そうとする。私も急いでいたので、心残りだが、なだめすかし、その場を離れた。
学校への道々、「何?」と思いながらも授業へ(動物の勘で危険を察知? 私の身に何かが?)。
学校が終わり無事家へ帰りつくと、長兄が出迎えてくれ、「さっきお産婆さんをしたぞ、五つの新しい命を取り上げた」と言った。
そこで、私はさっきのニャンコの行動が理解できた。
ニャンコは「生まれそうだから手伝って」と私を引き留めたのだ。
相手のことを思いやる(言葉は通じないが)気持ちが足りなかったかな。
ここはどこ?私はだれ?
10月初旬、友人2人と河口湖、山中湖へ出かけた。高速バスで河口湖駅へ着いたときに、ビックリ!駅前に大勢の人がいたが、日本語が全く聞こえなかった。友人と顔を見合わせて、「え!」と思い、出た言葉が「ここはどこ?私はだれ?」であった。日本人としての立ち位置が分からないままに、観光立国の宣伝、オリンピックの開催などが囃し立てられ、”おもてなし”という言葉も流行っているが、「本当に大丈夫なのかな?」と感じた。
おいてけぼり、ほったらかし
さて、皆さんは恨めしや~のほうで「置いてけ堀」という話を知っていますよね。
堀の中には魚がいますが、世の中には人がいます。釣り上げられた魚の行き先には、何があるのでしょうか。
売り物にならず、直ぐに、堀に返された魚には、元の自由な生活が待っています。一方、今の世の中では、売り物になる魚でも、話題になった後で、「ほったらかし(河岸)」という過酷な運命が待っていることもあるのです。釣り上げられて河岸に出されたら、元の堀には戻れません。
「置いてけ堀」に残された魚と、釣り上げられて有名になった(河岸に出された)魚とでは、どちらが幸せなのでしょうかね。
今月の目標(小学校低学年のクラスにて)
或るクラスのお話です。
今月の目標という張り紙には、”はなしをしない”と書かれています。
先生: みんな、今月の目標は良く守れましたね。来月の目標は、今月の目標に丸を一つ加えるだけです。さて、今度の目標は何でしょうか? 明日までに考えてきてください。整理整頓の話です。
さて、これを読んだ皆さんは、どんな言葉が浮かんできましたか?
モッタイナイ(一握りのお米)
今日、食べるお米がなくなり、買いに走った。玄米が食べたくて、新米(ちょうど新米の時期)を探した。うまく見つかり、その店にある精米機に向かった。白米は、食味は良いが栄養価は低い。玄米はその逆である。その「良いとこ取り」をしようと、三分搗きの精米を考えたのだ。
5キロの精米が終わり、袋に入れて機械周りの清掃をしたところ、前の人達の分も含めて、床に落ちたお米が手のひら一杯程集まった。それを見て、ふと思った。
モッタイナイ!今日は9月15日です。8月15日(終戦記念日)から1か月です。昭和20年のこの日に、これだけのお米が掃き捨てられるのを見たら、当時の人たちはどう思ったでしょう?
カマキリ
或る日の夕暮れ時、帰宅を急ぎ愛車に乗り込んだ。シートベルトをつかむため、少し右を向く。あれ?窓に大きな緑色の動くものが!! なんとカマキリである。どうしてこんな所にいるんだ?車に乗り込む時に、なぜ気付かなかったのだろう。
人は、見ている積りでも、意外と見ていないものです。「見ようという意識」が働いていない時には、こんなにも無防備なのです。
文字の伝える力・伝わらない怖さ
あなたはこんな話を聞いたことがありますか。
或る時、同級生のA子さんとB子さんが映画の話で盛り上がり、映画を一緒に見に行くことになりました。その話を聞いた友達のC子さんが「私も一緒に行きたい」とA子さんに言い出したので、A子はそれをB子さんに伝え、B子さんの了解を取り付けました。
映画の前日にB子さんはC子さんにメールを送りました。
「あんた、なんで来るの?」と短い文でした。
なんと、このメールがB子さんへの深刻ないじめの引き金となってしまったのです。
B子さんは、単に、「あんたは自転車で来るの?」と聞きたかっただけなのに!